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悪霊島 (1981年)

悪霊島 7


 東宝の石坂金田一シリーズとは違うパターンかな?という印象です。

 それまでの金田一物の登場人物達は、当たり前のように古い伝統や価値観の中に生き、そこに何の疑問も持たない人々でした。価値観が云々されることさえ無かったように思います。

 この作品に登場する、刑部大膳(佐分利信)や吉太郎(石橋蓮司)、そして巴御寮人(岩下志麻)も古いタイプの、伝統というものに何の疑いも持たない登場人物ですが、その一方で、刑部島出身で実業家の越智竜平(伊丹十三)は、伝統の破壊者たらんとして島に帰ってきます。また、刑部家の宮司である刑部守衛(中尾彬)は、刑部神社の御神体を俗悪な金の矢に交換する話を越智竜平に持ちかけられ、それに乗ります。守衛の動機は、刑部大膳の強烈な支配に対する復讐心ですが、彼を、大膳に象徴される古い伝統への反抗者と見ることも出来ます。

悪霊島 4 この物語の舞台となった1969年は、70年安保闘争真っ盛りであり、もちろん「あさま山荘事件」や「連合赤軍リンチ殺人事件」も起こっておらず、新左翼党派間の内ゲバもまだ陰惨な殺し合いに発展する前の頃です。70年代に入って、彼ら新左翼活動家達の至らなさが明らかになるにつれ、若者達は急速にシラケ、ミーイズムに向いますが、69年はまだ、「反抗こそ若者の美徳」と多くの人々が考えていた時代だと思われます。篠田正浩監督(横溝正史?)は、そんな時代を象徴する人物として、越智竜平や刑部守衛を作り出したのかな?という感じです。
 また、「性の解放」が叫ばれ、日本女性が堅持してきた貞操観念が徐々に崩壊しつつあった時代でもあり、それが、巴御寮人のもう一つの人格ふぶきの性的奔放さとして表現されていると見るのは考えすぎでしょうか?

 刑部大膳は「人間の尊厳、そういったものを簡単に放棄する奴は、それなりの報いがある。近頃の人間共は、放棄することに慣れて、守ることを忘れている。何が自由だ? 何が解放だ? 己の魂の在り方も守れず、戦後は解放されたとほざく。血が濁っても平気な奴はどんどん死ねばいい!!」と金田一に向かって吐き捨てるように言います。吉太郎は吉太郎で「現代人の失っているもの それは静かで激しい拒絶だ」という言葉を自分の部屋の机に彫っています。それまでの金田一映画からは想像も出来ない言葉です。

 そういう、今までの金田一物映画とは違う、古い価値観と新しい価値観の相克とでも言うようなものが、テーマとして込められているように思います。(もっとも、篠田正浩監督は、DVD付録の解説書の中で「日本の風土が作り上げた神というものは――実は人間が持つ一種のイマジネーションで作られていく……神様は人間が作るんだ、ということをやってみたかった。その思いを『悪霊島』にこめたんです。」と語っていますが。)

悪霊島 6


 本作で不満に思った点もやはり言っておきたいと思います。
 この作品の登場人物が総じて「冷たい」のが気になりました。「冷たい」と言うか、人間の血が通った人物が描かれていないように思います。
悪霊島 3 巴御寮人は常にすまし込んでいて、まるで感情を持たないようです。役柄上ある程度仕方無いとは思いますが、娘・片帆が殺されても平然としているのはいかがなものでしょう? 夫・刑部守衛の妾にずっと預けていた子という設定だから、情が湧かないのでしょうか? それでも、自分の腹を痛めた子という意識はあると思うのですが。竜平は竜平で、三津木五郎(古尾谷雅人)が自分の子供かも知れないと言うのに、五朗に何の思いも無いかのようです。当の五郎にしても、浅井はるのところへやってきたのは本当の母親を探すためだったはずなのに、その思いの深さが伝わってきません。
 主人公の金田一耕助からして、ユーモラスな表情もたまには見せますが、どこか淡々としていて落ち着き過ぎています。石坂浩二の金田一耕助が秀逸だったため余計そう思うのかも知れませんが、金田一耕助に何のキャラクター付けもされておらず、袴姿の普通の人といった感じです。
 全ての登場人物が、ただ話を進めるためだけに登場する人形のようでした。

 また、話が分かりにくい部分、最後まで観てもはっきりしない部分が幾つかありました。重箱の隅をつつくようですが、最後まで残った疑問を挙げてみますと、
●越智竜平はなぜ、消息不明になった青木の調査を金田一に依頼したのでしょう? 青木は越智の部下だったのでしょうか?
●殺された浅井はるの家で見つかった、刑部神社のおみくじの意味は?
悪霊島 2●刑部守衛殺害現場にあったはずの、平教経の弓が七人塚にあった意味は?
●真帆は「片帆が生前何かを怖がっていた」と金田一に言いますが、それは何なのでしょう? 片帆は、母・巴御寮人の中の別人格を知っていて、それを怖がっていたのでしょうか? それにしては、巴御寮人母娘が初めて登場する記念撮影のシーンでは、片帆が母を怖がっているようには見えません。
金田一耕助が「ふぶき」の部屋に入った時、前からそこにいた誠が金田一に発見され、逃げ出しますが、誠はそこで何をしていたのでしょう?
●三津木五郎の生まれた年の夏、モグリの産婆・浅井はるが取り上げた子は一人だけです。腰が繋がったシャム双生児でした。それこそが巴と竜平の間に生まれた子だったのですが、ならば、五朗は、巴と竜平の子ではなかったと云うことで良いのでしょうか? だとすれば、五朗が育ての母から聞いた話は何だったんでしょう?

 以上、最後まで説明が無かった点です。これらの他にも、よほど注意して見てないと、一度見ただけでは分かりにくい部分も幾つかあり、この辺りの篠田正浩監督の不親切さは、“芸術映画”を作っていた頃のクセが抜けきれなかったものでしょうか。


悪霊島 5 尚、この作品、冒頭とラストに、ビートルズの『Get Back』『Let It Be』が使用されていましたが、使用期限が過ぎ、DVDでは他のアーティストによるカバー曲に挿し替えられています(『Get Back』⇒ビリー・プレストン、『Let It Be』⇒レオ・セイヤー)。私が今回観たのもDVDででしたが、レオ・セイヤーの歌による『Let It Be』が実に良いです。本家ビートルズのバージョンも良いですが、こちらもかなり心に響くものがあります。機会がありましたら、一聴されることをお勧めします。


悪霊島 1


『悪霊島』(1981年)
監督:篠田正浩
脚本:清水邦夫
原作:横溝正史
製作:角川春樹
プロデューサー:橋本新一、飯泉征吉
撮影:宮川一夫
美術:朝倉摂
音楽:湯浅譲二
音楽プロデューサー:高桑忠男

出演:鹿賀丈史、室田日出男、古尾谷雅人伊丹十三岩下志麻、岸本加世子、宮下順子、二宮さよ子、中島ゆたか、大塚道子、原泉、武内亨、嵯峨善兵、多々良純、中尾彬、佐分利信、石橋蓮司、根岸季衣、浜村純、他

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野獣死すべし(1980年)

野獣死すべし 4 松田優作、1980年の主演作です。
 本作の主人公・伊達邦彦は、時折コミカルな味を加えつつ、野性味を基調にしていたそれまでの松田優作とはガラリと違い、戦場を渡り歩くうちに人格が破壊され、内面に狂気を孕んだ、一種の快楽殺人者であり、この作品も、80年代突入を機に、単なるアクション俳優から、何が何でも更なる上のステージに駆け上がろうとする優作が、己の演技力を誇示せんとした見本市的野心作です。

 この『野獣死すべし』出演にあたって、優作は10kg以上の減量をし、さらに上下4本の奥歯を抜いて頬をこけさせたというエピソードも伝わっており、また、優作の身長が、主人公・伊達邦彦の設定上の身長より5センチほど高かったため、「可能なら足を5センチ程切断したい」と真剣に語っていたと言うほど、本作は、優作が己の将来を賭け、目いっぱい入れ込んで作った作品でもあります。

 それだけやった甲斐もあって、この作品での優作の顔は今までと明らかに違います。顔色は青白いし、ヒョロヒョロと痩せこけていて、どこか、植物的です。野性味溢れる優作の面影はありません。それは、減量や抜歯によるものと言うより、もう、演技で顔を変えているのです。昔の優作の顔が好きな私としては、その、昔の優作の顔を本作のどこかでチラリとでも見たかったのですが、優作はとうとう最後まで見せてくれませんでした。これはこれで、凄いことではありますが。

 また、アウトロー世界の中をちょこまか動き回るというこれまでのパターンを捨て、伊達邦彦は、戦争という、より巨大な暴力の中を渡り歩いてきた男と設定され、言わばチンピラ的スケールの物語世界からの脱却も図られています。
 そういう作品でもありますから、松田優作主演のアクション映画の中では、ストーリー自体は一番面白かったです。

野獣死すべし 2

 しかし、正直に言うと、私はこの『野獣死すべし』での松田優作があまり好きではありません。上述したようなワケで、野性味ではなく狂気を前面に出してますし、「目が死んでる」と鹿賀丈史に言われるように、感情を持たない人間を目で演じる優作の、その目が気持ち悪くて仕方ないのです。私がそう思うことは、優作の勝ちを意味するのかも知れませんが。

 私がこの作品を初めて見た時はまだ10代で、その頃は、表向き大人しそうなインテリ青年が、裏では、善を超越した非情極まりないアウトローに豹変するという二面性に強く惹かれたものですが、今見ると、その裏の顔があまりにキ○ガイだし、ハッタリかますように朗読する萩原朔太郎の詩や、例の「君はいま美しい」という悪魔の洗礼の言葉も、(その頃無かった言葉ですが)いかにも「中二病」少年が好みそうな小道具です。当時の私もまた「中二病」が抜けきれてなかったのかも知れません。

 また、新境地を開こうと優作が入れ込んでる分、その狂気を孕んだ演技も、多少作り過ぎかな?と思うぐらい鼻につくシーンが多かったように思います。終盤、電車の中で室田日出男を殺し、更に鹿賀丈史を殺すまでの一連の演技に至っては、最早「臭い」という感じでした。よほど「演技派」という肩書きが欲しかったのでしょうか。今まで通りで良かったのに・・・。
 
野獣死すべし 1 この作品では、むしろ、鹿賀丈史のほうがインパクトがあって印象的でした。最初に登場した時の、うっかり手を出したら噛み付かれそうな、それこそ野獣のような凶暴性を感じさせる演技は凄かったです。ただ、それも登場した時だけで、後は、優作の中の、より巨大な悪を畏怖し、その前で恐れおののく飼い犬になってしまったのは残念です。最初のレストランでのキャラクターのまま、何か別の作品を観てみたかった。


 この作品を語る時、常に話題に上がるのがラストの難解さでしょうか。
 夢オチだという点では、皆さんの解釈は大体一致しているのですが、それなら、どこからが夢だったのか、よく分かりません。冒頭で青木義朗扮する警部を殺したところから既に夢だったのか、それとも、小林麻美の横に座ってコンサートを観ている途中で眠ってしまい、夢を見たのか?

野獣死すべし 3 答えは、最初に小林麻美が横にいた時と、最後で優作が居眠りしている時で、周りの観客の顔ぶれが違うことで分かりました。最初と最後のコンサートシーンは同じ時系列上にあるのではなく、最初が夢の中、最後が現実だと思われます。
 つまり、映画の冒頭からラストで目覚めるまでが全部夢だったのです。最初のコンサートのシーンは夢で、周りも夢の中だけに登場する観客です。だから、最後に登場する周りの観客とは顔ぶれが違うのです。

 目覚める前の段階で、二つの空席が写っています。小林麻美が途中で死んでしまったため混乱するのですが、これは、小林麻美も夢だけの人物で、本当はいなかったことを表していると思われます。そこへ優作が来て、二つの空席のうちの一つに座り、居眠りを始めたのでしょう。

 難解さの頂点は、優作がコンサートホールを出た時、何者かに撃たれて死ぬラストシーンです。
 撃ったのは誰かとか、なぜ死んだはずの室田日出男がいるんだ?とか、あれは優作の見た幻影だったのではないか?とか、挙句の果てには、いちいち意味を探るほどのラストシーンではないという意見も出てきたり・・・

 それでも敢えて私なりの解釈を書きますと、あれは、ふざけて死んだ真似をしているだけだと思います。ズッコケそうな解釈ですいません。

 その前のシーン、コンサート会場で目覚めた優作が何をしたでしょう? まず立ち上がって、「あれ? オレ、確かこういうポーズ取ってたよね?」という感じで、天に向かって指を突き上げた後、だだっ広いホールの中で「あっ」「あっ」と声を上げます。ふざけているのです。子供のようにその反響を楽しんでいるのです。この声を上げるシーンと、前の居眠りをしているシーンをひっくるめて、優作が、最早、居眠りするほどに音楽を解さない獣になってしまっていて、言葉さえ失い、獣のように声を発するだけになってしまったのだ、とする見方もありますが、考え過ぎでしょう。優作はそのまま外に歩いていき、まるで観終えたばかりの映画の真似をするように、撃たれて死ぬ真似をするのだと、私はこう解釈しました。向こうに立っている室田日出男は本当にそこに立っているのではなく、優作のイマジネーションです。小林麻美同様、実在しなかったと思われる人物ですし。

 作り手側も正解は用意していない可能性もありますが、こう考えるのが一番自然なんじゃないかと思うのですが・・・

『野獣死すべし』(1980年)
監督:村川透
脚本:丸山昇一
製作:角川春樹
製作総指揮:黒澤満、紫垣達郎
音楽:たかしまあきひこ
撮影:仙元誠三
編集:田中修
配給:東映

出演:松田優作小林麻美鹿賀丈史、岡本麗、根岸季衣、風間杜夫、岩城滉一、佐藤慶、室田日出男

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K-20 怪人二十面相・伝(2008年)

 やっぱり凡才なのかなあ、あの人は・・・?

K-20 怪人二十面相・伝1 4日に『金曜ロードSHOW!』で放映されていたので観ましたが、遠藤平吉がなぜ源治らに助けられたのかが全然説明されてなかったり、初めて登場する源治を、平吉は以前から知っている口ぶりなのにどういう関係か説明されてなかったりで、脚本の杜撰さに「何だ、これ!?」と思いながら観てました。

 誰が書いたんだ?と思って調べてみたら「佐藤嗣麻子」です! そう、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』で散々な脚本を書いていた佐藤嗣麻子です!! この作品では監督までやってます。ああ、やっぱりダメだこの人・・・。と思いつつ、それにしてもおかし過ぎるので再度調べてみたら、上映時間が大幅にカットされているではありませんか。オリジナルは137分、テレビで放映されたのは114分。これはCM込みの時間だから、それを抜いたら100分ぐらい。30分はカットされています。多分冒頭に書いた疑問も、カットされた30分に描かれていたのでしょう。失礼しました、佐藤嗣麻子監督。

 それにしても、こんな妙なことになってしまうのに、30分もカットして放送するテレビ局の神経を疑います。もし調べなかったら、私は「佐藤嗣麻子はダメ監督」と完全に決め付けていたところで、監督にとっても非情に迷惑な話です。テレビ局にはご一考願いたいものです。
 後から知ったのですが、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』も大幅にカットされて放映されていたのだそうです。過去のエントリーで散々貶しましたが、ノーカットで観れば、また違った感想が出てきたかも知れないと思うと、山崎貴監督や佐藤嗣麻子にゴメンナサイです。

 と云うわけで、こんな状況ではまともな感想は書けません。アクションシーンやCGで作った帝都の風景など、良い所は結構ありましたよってことぐらいしか。子供向け作品という雰囲気ではありますが、後半は結構楽しめました。
 ただ、泥棒長屋の住人達や孤児等のセリフが、あんまり考えてないと言うか凡庸だなという印象は否めません。ところどころ挿入される「笑いどころ」も雰囲気を明るくはしているものの、どこかで見たような感じです。まあ、こういう点も、子供向け作品だと考えれば突っ込むのは野暮ですかね?

(以下ネタバレ注意)

 この作品の一番大きな弱点だと思う点は、子供の頃『少年探偵団』シリーズを読んだことがある人なら、「怪人二十面相の正体が明智小五郎だった」というオチは、みんな考えたことがあるんじゃなかろうか?ってことです。原作がそうなっていたのかも知れませんが、陳腐な発想そのままで作ってしまわず、ひと工夫欲しかったところです。多分、観客の多くが(子供のお客さんも含めて)途中から気づいてたと思いますよ?

K-20 怪人二十面相・伝2
K-20 怪人二十面相・伝(2008年)
監督・脚本:佐藤嗣麻子
製作:阿部秀司、奥田誠治
音楽:佐藤直紀
主題歌:オアシス『ショック・オブ・ザ・ライトニング』
撮影:柴崎幸三
編集:宮島竜治
配給:東宝

出演:金城武松たか子仲村トオル國村隼高島礼子本郷奏多鹿賀丈史、他


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Author:Blik
作品や監督、俳優等について深い知識は持ち合わせておりません。ハッキリ言えばニワカですので私の評はアテにしないでください。また今日も頓珍漢なこと書いてやがんなあ、ぐらいの感じで読むのが丁度良いかと思います。

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